神戸聖隷のあゆみ   なぜ、名前に「聖隷」という命名を
創業期から創業20年まで   なぜ、神戸聖隷福祉事業団ではユニークな活動を
成長期から成熟の21世紀へ   なぜ、新活動方針としてホーリー・サーバント・リーダーシップを
なぜ、西神戸教会会員が社会福祉を   神戸聖隷のあゆみ 年表
なぜ、和田山町と神戸市の2ヶ所に福祉施設を   神戸聖隷トップページへ
 
 
社会福祉の素人たちが祈りと熱意の集団体制で20年を走り抜けました。
 

西神戸教会の40歳・50歳代の教会員が自らの手で福祉事業に取り組むことを決意

日本キリスト教団西神戸教会は、島田信一牧師とノーマン・パースンズ宣教師を中心とした若くて小さい教会でした。教会員は40歳・50歳代の働き盛りの夫婦が多く、祈りを通して社会奉仕の在り方を模索していました。
教会の社会活動に悩んでいる時に、キリスト教福祉の先輩である浜松の社会福祉法人聖隷福祉事業団を見学。当時理事長の長谷川保から「聖書の啓示する『隣人愛』の実践」に心を打たれ、「めぐみ福祉事業会」を発足させました。当時福祉という言葉は自由に使用できない時代でしたが、熱い心と希望で、社会奉仕するクリスチャンとキリスト教会活動の実践と遂行に一歩踏み出しました。


福祉事業推進に大きな関門が出現。神戸市長に当事業への理解を求めるも土地を持たない団体は公的援助の対象外といわれ、計画は挫折かという時、和田山より土地情報の朗報が届き、念願の福祉事業を進めることが決定しました。
その時、兵庫県の意向により、特別養護老人ホームから身体障害者施設へ福祉事業の内容が変わったのです。当初予定していた老人ホームの誕生は、1991年(平成3年)まで待たねばなりませんでした。


西神戸教会の教会員4世帯14名と単心での3名が、神戸から和田山へ移住

第1号施設の恵生園の職員に、西神戸教会の教会員が家族を伴って移住。神戸での仕事や、子供たちの学校生活、そして友人・知人と別れて、地縁・血縁のない和田山でまったく未経験の福祉の仕事にチャレンジすることになりました。このことは「熟年ビジネスマンの転職」として新聞でも大きく紹介されましたが、それほど悲愴感はありませんでした。
1976年(昭和51年)6月、ついに重度身体障害者授産施設「恵生園」は開園。移住した教会員が施設の中核メンバーとなり、集団合議制で施設運営に取り組みました。集団合議制の象徴が園長の選出。一番年長であるという理由で稲松斉が初代園長となり、金や名誉とはまったく無縁のトロイカ方式で、社会奉仕するクリスチャンとキリスト教会活動の実践として施設づくりにあたっていきました。

施設総ての利用者と職員の「魂の癒しと励まし」のために地の塩伝道所開設

恵生園の毎日は、新しいスタッフによる、新しい事業のため、働き手の心身は疲労と焦燥の極致。精神的な支えがぜひとも必要でした。この迷える群れのためにキリストの体としての共同体「見える教会」を設立して、唯一の「主なる神」に連なる必要があると確信し、土肥隆一牧師の指導と支援を得て、「和田山地の塩伝道所」を施設内に開設しました。今でも毎週欠かさず礼拝は続き、施設利用者や職員の心のケアの役割を果たしています。


浜松の聖隷福祉事業団から、神戸聖隷福祉事業団として分離独立

施設福祉でのサービス理念の転換で施設の役割と使命の改革が進むという社会的変化と、県の指導とで浜松市の聖隷福祉事業団から分離独立。
「神戸聖隷福祉事業団」としてひとり立ちすることになりました。
しかし、精神を受け継ぐ証として聖隷の名を継承し、長谷川力が神戸と浜松の理事長を兼務することになりました。
その後、1992年(平成4年)金附洋一郎が理事長に就任し、完全自立の道を歩んでいくことになりました。


ヘンリー・ニノミヤ・アキイエ宣教師を所長にホーリースティック社会研究所を開設実践プラス理論と研修と人材育成に着手

介護・療育に当って、建物とか設備の近代化は不可欠です。しかし、より大切なことは旺盛な熱意と優れた技術を持つ職員集団であることです。ホーリスティック社会福祉研究所は「21世紀を目指す総合的福祉理論の研究の場を提供するとともに、法人内外の福祉従事者の専門性を充実・成長させる各種研修を企画し、人材育成を担う」ことを目的に独創的な活動を始めました。
当時法人内にこのような研究所をもつところは少なく、常に一歩先を見つめた姿勢が福祉の現場を支えているのです。


創業20年の年に阪神・淡路大震災に遭遇

恵生園が開園して創業20年の記念すべき年に、未曾有の災害が襲いました。死者6,300余名を超える阪神・淡路大震災。神戸聖隷福祉事業団も、せきもり分場が全壊するなど、多大な被害を受けましたが、各施設において利用者及び家族、地域への支援ボランティア活動を積極的に続け、地域の中での施設支援活動を実践するとともに、地域の人たちにとって身近な施設を実感していただく契機ともなりました。