神戸聖隷のあゆみ   なぜ、名前に「聖隷」という命名を
創業期から創業20年まで   なぜ、神戸聖隷福祉事業団ではユニークな活動を
成長期から成熟の21世紀へ   なぜ、新活動方針としてホーリー・サーバント・リーダーシップを
なぜ、西神戸教会会員が社会福祉を   神戸聖隷のあゆみ 年表
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なぜ、西神戸教会教会員が社会福祉を
 

日本キリスト教団西神戸教会は教会員約60名の若くて新しい教会

 

神戸市の西(舞子の丘陵地)に位置し、当時新興住宅地の一角にあったのが西神戸教会。1960年の後半から1970年のはじめにかけて、島田信一牧師とノーマン・パースンズ宣教師が中心となって祈りを捧げていました。
教会員は約60名。小さな群れの教会でしたが、40歳・50歳代の社会の中堅クラスの夫婦がアクティブメンバーを構成していました。彼らは戦争体験者。戦後の混乱期をくぐり抜け、東京五輪、大阪万博と高度成長期とともに歩み、社会の中核となって活躍していました。しかし、不惑の年に近づき成績に左右される毎日に疑いを持ち始め、何か社会的なことをと考えるようになったのです。
そんな時、アメリカから派遣されていたノーマン・パースンズ宣教師の「社会奉仕するクリスチャンとキリスト教会活動」の教えを受けて、社会福祉の幻を夢みて動きはじめました。

 
キリスト教福祉の先輩、浜松市の聖隷福祉事業団を訪ねて、感動
 

意思を現実の行動パワーに変えたのは、1971年(昭和46年)6月。その当時、聖隷社を創業して45年を経過したキリスト教福祉の先駆者のひとりである長谷川保が理事長をしていた聖隷福祉事業団を見学し、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」をモットーに「福祉」「医療」「教育」の花が咲き、実を結んでいるのを見ました。
教会奉仕の在り方の成功例として、訪れた教会員を感激・感動の渦に巻き込み、自らの手で福祉事業に取り組むことに決意させ「めぐみ福祉事業会・恵生園建設準備委員会」を発足させました。

 
建設準備委員会は17名、全員が教会員
 

めぐみ福祉事業会・恵生園建設準備委員会に参加したメンバーは、牧師、宣教師の二人を除くと医師、大学の先生、市会議員、税関職員、中小企業のオーナー、会社員、主婦等多士済々な人たちの集まりで全員が教会員でした。毎週水曜日の祈祷会の後、キリスト教による社会福祉事業の実現に向けて話し合いを続けました。

【特別養護老人ホーム恵生園建設準備委員会メンバー】
※河野博臣、稲松斉、島田信一、吉田多喜男、兼平武男、北井益豊、斎藤義剛、駒木根節也、 瓦田信之、※俵つや子、二宮フミ、※前田光恵、ノーマン・パースンズ、金附洋一郎、※栗岡章、 ※美濃部道照、※田村冨美子 ※は故人

 
教会員の証として福祉を実践し、浜松の聖隷の後を継ぐ
 

浜松市の聖隷福祉事業団はキリスト教福祉の先輩として、大輪の花を開花。しかし、全国的にキリスト教福祉を実践・遂行している教会はまだまだ少ない状況でした。
西神戸教会の教会員が中心となって恵生園建設準備委員会を結成した以上、教会員の証として福祉を形にしなくてはならない雰囲気が教会全体に満ちあふれていました。
実現へのステップとして、稲松斉委員の手で福祉事業のマスタープランが作成され、一つの形を提示。活動の目標が明らかになっていき、計画が現実のものとなり、1976年(昭和51年)6月の開園の際には、教会員の中から4世帯14名と単身者3名の仲間が働き手として、神戸から和田山へ移住しました。

【神戸から和田山へ移住したメンバー】
稲松斉・友子夫妻(子2人)、越智靖・満喜子夫妻(子2人)、兼平武男・ちづえ夫妻(子2人)、瓦田信之・よし子夫妻    4世帯14名
小泉らく、河野博臣、佐々木昭夫    単身者3名