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めぐみ福祉事業会・恵生園建設準備委員会結成から半年後の1972年(昭和47年)に、市議会議員の紹介で当時の神戸市長宮崎辰雄と面会。当事業への理解と協力をお願いをしましたが、「土地を持たない団体」がネックとなり支援を断わられました。社会福祉事業を行うには土地を所有し、法人格のあることが第1条件だったのです。
いかに熱意があろうと、どれだけ優れたプランであろうと公的助成の対象外でした。ここで、福祉事業は一旦頓挫するかに思えました。 |
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※画像クリックで写真拡大します。 |
意気消沈の3ヵ月後、和田山より耳寄りな土地情報が寄せられました。ある社会福祉法人が土地購入に着手したが、途中で中断。福祉村を標榜する和田山町の要望どおり進んでおらず困った状況にあり、解決策を検討しているという情報でした。すぐに、委員会メンバーと教会員の有志25名がノーマン・パースンズ宣教師運転のマイクロバスで和田山の並川町長を訪問。帰神後、1万坪の土地面積があり、進入路と水道確保でマスタープランに格好の場所ということで、委員会に諮り、福祉事業の建設用地に適合として決定しました。
法人格の問題は、新規法人認可が困難な時期であったため、浜松市の聖隷福祉事業団の傘下に参画させていただくことで条件をクリアし、建設推進へと前進していきました。 |
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恵生園は当初は特別養護老人ホーム施設の予定でした。
しかし、途中で同じ北但地区に特別養護老人ホーム建設計画があったため、県の指導もあって重複を避けるとともに、地域に必要な施設をとの考えから盲晴リハビリ施設を併設した身体障害者更生施設に変わることになりました。
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和田山の地で6年間社会福祉の実績を積み重ねてきた神戸聖隷福祉事業団に、1981年(昭和56年)の国際障害者年に神戸市から元国立神戸療養所跡の市所有地約2万uを無償貸与の申し出がありました。
和田山と比較して市街地に建設されるということで、これまでよりも地域交流、施設の社会化に前向きに取り組む必要が生まれました。
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場所は神戸市須磨区友が丘の住宅地の中。施設建設が発表されると当然のように地元から知的障害者施設建設に強い反対運動が勃発。関係者の協力と法人側の熱意が通じて着工にこぎつけ、1982年(昭和57年)4月知的障害者通所授産施設「神戸聖生園」、5月身体障害者療護施設「神戸愛生園」開園の運びとなりました。 聖書にいつまでも絶えることがなく、最も大いなるものと記された「愛」から神戸愛生園と名付けました。神戸市内における法人施設の最初の誕生でした。
当初の誤解が氷解し、開園に当たっては自治会が「おいでやすカーニバル」を開催し、歓迎してくれました。「おいでやすカーニバル」は現在では神戸聖隷福祉事業団が主催し、4,000人〜5,000人が参加する須磨区の一大イベントとなっています。
この時、反対運動の先頭に立った自治会長は後に熱心な支援者となり、さらに自ら社会福祉施設を2ヵ所開設されました。神戸聖隷福祉事業団から新しい芽が息吹いたのです。 |
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